MALIANのブログ | 矢沢永吉の原動力二人の支え

矢沢永吉の原動力二人の支え

永ちゃんは両親がいなくなって、幼少期に生活保護で生活するおばあちゃんに引き取られ、1部屋の小さな家で暮らしていました。

広島を出た後にたどり着いた横浜

まずはディスコで働いて出会い求婚した

前嫁・すみ子さんと同棲を始めると川崎の飲食店の上のアパートで暮らしました。

飲食店「のり江」の2階部分に住んでいましたが現在もお店は健在で、多くの矢沢ファンが訪問する事で有名でしたが、まだ行けるのであれば見てみたい。

不倫相手・マリアとの隠れ家は表参道の「ビラ・ビアンカ」

矢沢さんは1978年頃から現在の嫁・マリアさんと不倫関係となります。

当時、ふたりの愛の巣だったのが表参道にある「ビラ・ビアンカ」そこは目立つのですぐわかります。

矢沢永吉さんは売れる前はキャデラックに憧れていたそうです。

しかし、初めて買った高級車はベンツ450Sでした。ショールームで一目惚れして買ってしまったそうです。矢沢永吉さんの下積みを支え、あの頃から幸せの全盛期だと認めさせた最高の女だったすみ子さん。

そんなすみ子さんが、少し前に亡くなったと噂になりました。

後悔したと綴られています。それが糧になり原動力になっていったのでしょう。

時期にして2008年から2009年頃で、当時、矢沢さんはメディアを避けライブ時期をズラすなどスケジュールに違和感があったそうです。

正式に公表はされていないので、噂でしかないです。

事実であれば58歳と若い時期に死去されたことになります。

矢沢永吉は離婚後もすみ子さんと子供たちと山梨県山中湖にあった家は週刊誌に暴露され荒れ屋に?現在は更地結局、現在は取り壊されて更地になっているそうです。

売れる前は横浜・弘明寺や川崎のアパート。下積み時代の矢沢永吉矢沢永吉のオーストラリア35億持ち逃げ事件。詐欺で借金35億を15年で返済矢沢永吉は離婚後もすみ子と子供たちとの交流を続けた。関連会社への勤務や役員この35億という被害額はオーストラリア史上2番目に巨額だったそうです。

そんな35億の借金も返済が終わるのは2003年頃。メディアでは1998年に借金が発覚したので5年で返したと言われていましたが、実際は1988年から15年かけて返したそうです。

返済能力を高めたことで現在の暮らしがある?

矢沢永吉さんは借金を背負った後はお酒に逃げたそうですが、嫁・マリアさんに励まされ、返済のために必死になって仕事をしました。

長いコンサートツアーやグッズの売り方、映像作品の売り方などのビジネスモデルの基盤ができたのはこの時期で、現在の矢沢永吉さんを作ったきっかけになった時期だったと思います。

35億の借金を15年ということは、1年で2億4000万ずつ返していた計算になります。

そう考えると、税金のことを含め、自分や家族の暮らしに必要なお金も計算すると、年間で最低でも6億は稼がないと返済しながらやっていたみたいです。

でも、すみこさんは元銀行職員だったので力強位味方であった事でしょう。

マリアさんは、路頭に迷う永ちゃんを見守りやる気を起こさせた事は二人のおかげでした。

それからというもの、永ちゃんは素晴らしい功績をどんどん作っています。